佐渡島 塚原山根本寺

佐渡島参拝その4
昔、佐渡の国仲地区一円の死人の捨て場所として、古墳累々たる塚原なりと云い伝えられています。
全国の日蓮宗十大聖跡の一に列せられています。
今を遡る七百有余年前、日蓮聖人御年五十歳佐渡法難の砌、文永八年(1271)十一月一日より、翌九年四月半に至る迄、秘かに阿仏房夫妻の御供養を受け、辺り一帯は屍陀林にして鬼火明滅し、身の丈ほどに積る雪中の三昧堂に請居された聖跡であり、日蓮聖人は此処に総ゆる難難を克服し、正月十六日には越後、越中、出羽、奥州、信濃の諸国より集まった他宗の法師等数百人と問答し「利剣を以て瓜を切り、大風の草を座かすが如し」と御述懐遊ばされし程の大勝利を占められた。
又二月半には六十一年の御生涯中の形見とも言われ、また、一大事とも言うべき『開目紗』上下二巻を御著作なされ、本佛輝尊の予言になる
「末法の大導師本化上行菩薩とはこの日蓮なり」
と、御自身の本地を開顕されたのも塚原三昧堂であります。
我れ日本の柱とならん
我れ日本の眼目とならん
我れ日本の大船とならん
この「開目紗」に認められた三大誓願であり、当山の別名を「開通顕本の霊場」とも言われています。(日蓮宗ポータルサイト参照)

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