9月20日に鹿児島県の知覧特攻平和会館と万世特攻平和記念館に行って参りました。
日本の戦争の歴史を語る上では避けて通れない場所。
一度は訪れてみたいと思っていました。
太平洋戦争終盤の1945年3月26日から7月19日のわずか4ヶ月弱の間に特攻作戦で1036名もの若い命が失われました。
ほとんどが高校生・大学生くらいの年齢です。
そのうち知覧から飛び立ったのが402名、万世は120名と、全体の約半数に及びます。
沢山の若者が亡くなったとはもちろん知っていましたが、まさかそんな短期間だとは知りませんでした。
館内には家族(主に母親)に宛てた手紙が沢山展示されています。
検閲があるので悲観的な事は書けなかったと思いますが、気持ちのこもった最後の手紙を書かれていて、心に刺さる物がありました。
また、皆さん達筆で、当時の基礎教育水準の高さが伺えます。
一緒に訓練をしている仲間が一人また一人といなくなる、そして自分の番になる。
どんな気持ちでその日を迎えたのか、どれほどの覚悟があれば敵艦に体当たりできるのか。
現代を生きる私では想像もできないですが、たった数十年前の若者がその覚悟をもって飛び立って行った事は事実です。
戦争は悲惨だからもう二度と起こしてはならない。
特攻作戦などするべきじゃなかった。
と言う事はできますが、では数十年前の彼らは何を思って飛び立ったのか。
それはあの艦を沈めれば本土への空襲が起きないかも知れない。自分が犠牲になる事で愛する家族が死なずに済むかも知れない。その一点だったのではないかと思います。
だとすれば、その犠牲の下で未来を託された我々ができる事は、この国をさらに発展させる事。
他国からも信頼され、亡くなって行った彼らに誇れる国にする事ではないかと思います。
そんな事を考えさせられた今回の体験でした。
事務局 小川隆之